2017年10月20日金曜日

泣くチカラ。

entry #21
<サッドマネージメント塾-第21夜>

「最近涙腺が弱くなって・・・」

歳をとって涙もろくなったという人がいます。
確かに筋力の衰えと同様に、涙腺というものも弱まるのかもしれません。
また、人によってよく泣く人と、泣く姿をみることのないような人がいます。
この違いは、 涙腺の力こぶの違いもあるでしょうし、心の耐性の差ということもあるのでしょう。

ここで思い出しました。個人的な体験ですが、数年前に実母を亡くした時のことです。
一年あまりの闘病だったのですが、私は最後の一息まで共にすることができました。とても悲しかったはずなのに、今際のときに涙は出ませんでした。
その理由をいま考えると、死を目の当たりにしながらも現実感がないという麻痺状態だったのかもしれません。それとこれから葬儀に向けての緊張もあったかと思います。
通常の精神状態ではなかったということでしょうね。

むしろ、葬儀が終わってから、いつでもいつまでも涙が溢れました。何かにつけて母の面影を思い出しては涙するという状態が3年以上続きました。

この経験から、涙をこらえる方法はあるとわかります。
悲しい現実を現実のことと思わない、
自分に関係したことと思わない、
気持ちを緊張させる、
何か別のことに気を向ける、
こころを鈍感にする、
こんなことです。いや、そんなことできないという人もいるでしょうが……。

ですが、涙をこらえて泣かないでいると、感情のどこかが壊れてしまうような気がします。悲しいはずなのに、泣くのを我慢すると悲しさを失ってしまったような。
なんだか矛盾するような話ですが。

人間は感情と共に生きる生物です。
悲しいときに悲しんでこそ、うれしいときにも存分に喜べるような気がします。
自分の感情とまっすぐに向き合うことで、人間らしく生きられる。
泣くチカラがあってこそ、喜ぶチカラ、怒るチカラ、楽しむチカラも育まれるような気がします。


涙のスイッチ。

entry #20
<サッドマネージメント塾-第20夜>

涙にはスイッチみたいなものがあるのでしょうか?
悲しくもないのに、ふいに涙が溢れることがあります。
目にゴミが入った?
悲しいドラマを観た?
いえいえ、どちらも違います。

窓外の風景を眺めていたら、意味もなく涙が出てきた。
どこかから聴こえてくる音楽に、涙が誘われた。

こんな感じです。

もしかしたら軽い鬱か気分変調症に陥っている、ということも可能性としてはなくもないですが。
でも、それまでは普通に、鬱っぽくもなかったのに、涙が出てしまったなんて人、結構いると思います。

いくつか考えられます。
何か昔の経験が知らず想起されてしまったのではないでしょうか。
それは悲しい思い出とは限りません。
懐かしさであったり、優しかった母の思い出だったり、
悲しいのではなく、胸がきゅんとするような。
たぶん、風景の中の何かや、聞き覚えのある音楽、場合によっては匂いや色彩、味覚や触覚など、五感に受ける刺激から脳内にドーパミンか何かが分泌されて、涙が誘発されるのでしょう。

もうひとつは、ストレスがたまっているせいかもしれません。
ストレスがたまると自律神経系の交感神経の働きが活発になって、脈拍や血圧の急上昇といったからだの変化が起こります。
日中の活動時間は交感神経が働くのが普通ですが、休むべき時間までこの状態が続くと、
ストレスはたまりっぱなし、からだもおかしくなってしまいます。
交感神経と対をなす副交感神経が働いて、リラックス状態を促すことが必要なのです。

ストレスがたまったときは、眠ることがいちばん。j眠れば自然に交感神経が鎮まり、副交感神経が働いてストレスを解消してくれるからです。

ところで眠る以外に、もうひとつ交感神経を鎮めて副交感神経に切り替えるスイッチがあるそうです。それが涙。

交感神経の緊張が高まって、前頭前野が興奮状態になったとき、涙が流れるとスイッチが副交感神経に切り替わり、リラックス状態に誘われます。こうすることによって、眠りと同じように心はリラックスして安らぐのです。泣いた後はとてもスッキリするのはこんなメカニズムによるものだったのですね。

ストレスのせいかどうかは別として、泣くと気持ちが浄化される感じがするというのは、みんなが経験済みですよね。
entry#1「涙の止め方」でも書きましたが、泣くことはとても大切。
泣きたいときは存分に泣く、がいいのです。
遠慮なく、涙のスイッチをオンにすればいいのです。



悲しいときは泣く

こんにちは。
サッドマネージメントのふみみです。
悲しみを乗り越えていきたい、という想いを込めて
「悲しみの向こう側へ」というタイトルでブログを始めましたが、
どうも昔の歌曲タイトルとかぶっているようですし、
悲しみを抱えているあなたの気持ちに寄り添えていないような気がして、
タイトル変更しました。

想いは同じですが、
「悲しいときは泣く」
トップエントリで書いた内容通りのものにしました。

この世の、悲しみに耐えている人の力になりたい気持ちを込めて、
これからもサッドマネージメントについて考え続けます。
よろしくお願いしますね。