2017年8月4日金曜日

悲しみをうまく昇華させる方法。

entry #6
<サッドマネージメント塾-第6夜>

悲しみと出会ってしまったとき、その悲しみから逃れる方法はあるのでしょうか?

entry #1で書いたように、泣くことはひとつの対処方法です。
思い切り泣くことによって、哀しみの気持ちが流れ落ちて、上手く昇華していき、泣き終わった後には思いの外スッキリする、そういう経験は誰しもあることでしょう。

しかしそれでも悲しみが消え去るわけではありません。

”時間ぐすり”などと言いますが、時とともに悲しみの感情が薄れていくのを待つしかありません。
つまりそれは、忘却という記憶のメカニズムによるものです。

昨日も今日も、明日になっても、自分自身は変わらないと誰もが思っているでしょうが、
身体の細胞が日々入れ替わっていくように、人の心もまた少しずつ変化していきます。

悲しみは、哀しみに、愛しみに、かなしみに、カナシミに、ナシミ、シミに……

そうして、悲しい思い出に変化した記憶は、やがて懐かしいものへと変わっていくのですね。

この時間ぐすりの時間は、増やしたり早めたりすることはできませんが、効果を高める方法はあります。
忘却を早め、変化を早送りできるのです。
それはとても簡単なこと。
何かに熱中するのです。
熱中できる何かを見つけるのです。
我を忘れる、という言葉がありますが、そのくらい何かに熱中できれば、早い段階で哀しみは遠ざかっていることに気づきます。

なあんだ、そんなこと、言われなくても〜そう思われたかもわかりませんが、
つまり、そのくらい簡単で当たり前の方法が、悲しみを昇華させるよい方法なのですね。


悲しみからくる不都合なもの。

entry #5
<サッドマネージメント塾-第5夜>

悲しみは唐突にやってきます。

一年前はあんなに幸せだったのに。
先月はあんなに笑っていたのに。
昨日は元気に挨拶したのに。

突然の雨のように、予想外の嵐のように、
想定外の災害が訪れるように、悲しみも訪れるのです。

そのとき、人はどうなるのでしょうか。

胸の真ん中あたりでずーんと何かが引いていく感じ。
血管の中の液体がすーっと下がっていく感じ。
頭の仲が真っ白になって、意識が曖昧になる。

そして、
取り乱す。
うずくまる。
身体中が震える。
震えが止まらなくなる。
嗚咽。
泣く。
泣き叫ぶ。
喚く。
動き回る。
発作のような暴力。
意識を失う。
我を失う。
あるいは、押し黙ったまま塑像になる。

襲ってきた出来事の重さによって、当事者の性質によって、
悲しみの大きさは異なり、それがもたらす反応もさまざまでしょう。

しかし、どのような行動が現れようと、こころの中で起きている悲しみの種類はほとんど変わらないでしょう。
とにかくたった今まで保持していた幸福感が180度天地をひっくり返された気持ち。
平常だった血管の太さが変わり、血流の速度が早まり、脳細胞を結ぶシナプスが悲しみ独自の働きを始めます。
こころが縮こまると同時に身体も大きく変化してしまうのです。

そうした心身の変化に対処するために、様々な行動が表出するわけで、
哀しみ直後の行動は、人それぞれ、どのよう出会ってもいいのです。
その人個人の対処方法なのですから。

問題はそのあとです。
ひとしきり対処行動をとることによって、心と体が上手く折り合えばいいのですが、
時としていつまでも平常に戻れないこともあるのですね。

悲しみがもたらす不都合なものとは、悲しみの衝撃を上手く受け止められない、
一旦受け止めたつもりでも、そのあと折り合いがつかず、元の自分に戻れない。

こうした経過からこころの病気に陥ったり、身体に以上が生じたり、
その流れでより悪い事態が引き起こされたり、そうして事故や事件が起きてしまうのではないでしょうか。