2017年9月12日火曜日

自己不一致という哀しみ。

entry #16
<サッドマネージメント塾-第16夜>

日本における心理カウンセリングの父と呼ばれているカール・ロジャース(Carl Ransom Rogers, 1902 - 1987)の言葉で、「自己一致(congruence)」という考え方があります。これは、カウンセラーにとって重要な3つの基本的態度の一番目に掲げられているものです。

自己一致とは、自分の内面にあるものと、外に向けて体現しているものが一致しているということです。言い換えると、内も外も一致してありのままの自分であるということ。カウンセリングするものにとって、ここに矛盾点があってはいけないとロジャースは説いています。

ここでは、カウンセリングの話をするわけではないので、ロジャースの話はここまでとしておきますが、自己一致転じて自己不一致(incongruence)という問題について考えてみました。

自己不一致とは、自己一致の逆、つまり、自分の内面と体現するものが一致していないということです。もう少し かみくだいてみましょう。

自分の内面で感じていることとは、たとえば

・自分はどういう人間か
・何をしたいと思っているのか
・誰のことが好きで、誰のことは嫌だと思っているのか
・どんな夢を描いているのか
・どうなりたいと思っているのか
・どんな人間になりたいのか

思索の数だけ、あるいは感じているだけ、さまざまな数え切れない内面があると思います。
ところが、その自己の内面を自分自身では認識できていないことがあります。

普段、そんなに自分の内面について深く考えたりしていないでしょうし、なんとなく好感を持っている相手のことをどこまで好きかなんて意識していないこともあるでしょう。
自己認識ですらそういうことですから、その内面がまっすぐに行動や言動に現れていないことだってあるでしょう。

それこそ、「ありのままの自分」で生きていて、内面と体現しているものがほとんど一致しているというまっすぐな人もいることでしょう。しかし、私たちは自分で思っていることを実現するために行動しているつもりですし、実際にはそうはなっていないとしても、自分ではそうできていると信じているのではないでしょうか。

さて、ここからが本題ですが、悲しみは喪失感によって引き起こされると書いてきました。喪失感とは、大切な人や大切な何かを失うということです。

この、大切な人や何かは、自分の内面でそう思っている、信じている事柄です。
大切だと思っているからこそ、その人やものを守り育み、愛しているのですよね。
ところが、何者かによってそれが阻害されてしまう。剥奪されてしまう。
自分の内面にあるものを実現して一致している外側の環境が壊されてしまう、
つまり自己一致している事柄が無理やり不一致状態にされてしまうわけです。

わかりやすく言えば、「こうでありたい」と思っているのに、自分の行動とは関係ないなんらかの外的要因によって、そうではない状態になってしまった! ということですね。

そのような境遇に置かれてしまった人間は、落ち込んで悲しみに襲われるのではないでしょうか。悲しみよりも怒りを覚える人もいるかもしれません。しかし怒りに満ちた人も、いくら怒ってもどうしようもないことがわかると、やがて悲しみの淵に立たされることになるのです。

思い出してみましょう。
怒りを感じるのはどんな時か。
悲しみに満ちるのはどんな時か。

およそ、自分の望みが、望みとまでいかなくても「こうあってほしい、こうあるべき」と思っていたことが実現できなかった、あるいは絶たれてしまった時ではないですか?

死別も喪失も、それによって自分の内面で描いていたことが、実現できなくなるから哀しみにつながる。すべての悲しみは、このような自己不一致によるものであると思うのですが、違うでしょうか?