2017年8月27日日曜日

12段階の悲嘆のプロセス。

entry#9
<サッドマネージメント塾-第9夜>

前エントリでは、平山博士が唱えた悲嘆のプロセス4段階を記しましたが、さらに悲嘆のプロセスを12段階でまとめた学者もいます。生死学を専門とする上智大学名誉教授の哲学者アルフォンス・デーケン博士です。(哲学者アルフォンス・デーケン「よく生き よく笑い よき死と出会う」新潮社 20039月発行)

以下、哲学者アルフォンス・デーケン氏の著作「よく生き よく笑い よき死と出会う」から抜粋された記事を参考に記述しました。


(1)   精神的打撃と麻痺状態(shock and numbness
 愛する人の死に出会うと、その上、その死が唐突であればあるほど、そのショックは大きすぎて、一時的に現実感覚が麻痺状態に陥ります。「頭の中が真っ白になっ て何もわからなくなった」と言われる状態です。これはいわば一時的な情報遮断状態であり、心身のショックを少しでも和らげるために起きる、生体の本能的な防衛機制といわれています。 

 普段はとてもしっかりしていた人がこのような真っ白な状態になったからといって精神的におかしくなったというわけではありません。一過性の現象であり、心配する必要はありませんが、この状態が長引けば問題になってきます。


(2)   否認(denial
 愛する人の死を感情的に受け入れられないばかりか、理性としてもその人の死という事実を否定しようとします。死ぬはずはない、何かの間違いだ、どこかで生きているのだ、そのうち元気な姿を見せるはずだ……などと、思い込みます。

 この現象は、決して頭がおかしくなり、混乱しているわけではありません。相手の死を 感情と理性の両方で受け入れられない時期があることを理解しなければなりません。


(3)   パニック(panic
 身近な人の死に直面した恐怖から、極度のパニック状態に陥ることがあります。これもしばしば見られる現象ですが、一過性であれば問題はありません。


(4)   怒りと不当感(anger and the feeling of injustice
 やがてショックが収まると、悲しみと同時に不当な苦しみを負わされたという激しい怒りに変わります。交通事故や急病による突然の死の後では、この感情が 強く現れます。交通事故などのように、愛する人の命を奪った相手がいる場合には、加害者に対する怒りがいっそう強くなります。

 また、病院で亡くなったりすると、その怒りが看護婦や医者に向かうこともあります。いずれにしても、なぜ自分だけがこんな不幸に遭わなければならないのかという不当感がつきまとい、 自分にひどい仕打ちを与えた運命や神に対する怒りが表出されることが多いのです。

 逆に、この怒りの感情を外に向かって率直にはき出せず、いつまでも怒りを心の中に留めていると、知らずしらずのうちに心身の健康を損ねてしまいます。このような場合、無理に怒りの感情を押し殺さず、上手に発散させることが重要になります。

 また、周囲の人も、悲嘆のプロセスの初期に、怒りや不当感を強く感じる時期があることを理解しておかなければなりません。この怒りの感情表出に対して、周囲の人が反応してしまうと、本人はますますやり場のない怒りの感情を心の内にいだくことになるからです。


(5)   敵意とルサンチマン(うらみ)(hostility and resentment
 周囲の人々や亡くなった人に対して、敵意という形でやり場のない感情をぶつけてきます。特に、最後まで故人のそばにいた医療関係者がその対象となることが多いようです。

 これは、日常的に患者の死を扱う医療者側と、かけがえのない肉親の死に動転している遺族側との間の感情の行き違いによる場合もあります。最近は、医療事故などが問題となり、医療者側と遺族側との間に信頼関係がしっかり形成されていないと、とりわけ医療者側に不信や敵意が生じやすいようです。

 また、時には故人に敵意が向けられる場合があります。本人の不注意や不摂生が、直接的にか間接的にか死亡原因となった場合には、死んだ人の無責任を責めるという形でやり場のない敵意を表現します。


(6)   罪意識(guilt feeling
 悲嘆のプロセスが進むと、自分の過去の行いを悔やみ、自分を責めます。あの人が生きているうちに、もっとこうしてあげればよかったとか、逆に、あの時あんなことをしなければもっと元気でいたかもしれないなどと考えて、後悔の念にさいなまれます。


(7)   空想形成、幻想
 空想の中で、亡くなった人がまだ生きているかのように思いこみ、実生活でもそのように振る舞います。たとえば、夫を亡くした奥さんが、夫が亡くなって1 年以上も経っているのに、毎晩夫の分まで食事を作り、食卓に並べてじっと待っていたりします。また、子供を亡くした両親が、亡くなった子供の部屋を片づけられず、いつ帰ってきてもすぐ着替えられるようにパジャマまで揃えて、何年もそのままにしているということもあります。


(8)   孤独感と抑鬱
 葬儀などの慌ただしさが一段落して、落ち着いてくると、紛らわしようのない独りぼっちの寂しさがひしひしと身に迫ってきます。人によっては、気分が沈んで 引きこもってしまったり、だんだん人間嫌いになったりします。これもたいていの人が通らなければならない重要な悲嘆のプロセスです。

 しかし、この時期が長 引いてしまうと、健康を損なってしまいます。周囲の暖かい援助が必要で、早くこの時期を乗り越えることが大切です。


(9)   精神的混乱とアパシー
 愛する人を失った空虚さから生活目標を見失い、どうしていいかわからなくなり、全くやる気をなくした状態に陥ります。これも正常な悲嘆のプロセスの一部で すが、この状態が長引くようだと健康を損ねてしまいます。その場合には、精神科医やカウンセラーなどの専門家の援助が必要となります。


(10) あきらめ―受容
 日本語の「あきらめる」という言葉には、「明らかにする」という意味があり、この段階になると、愛する人はもうこの世にはいないというつらい現実を「あきらか」に見つめて、相手の死を受け入れようとする努力が始まります。受容というのは、ただ運命に押し流されるのではなく、事実を積極的に受け入れていこう とすることです。


(11) 新しい希望
 ユーモアと笑いが再びよみがえってきて、次の新しい生活への一歩を踏み出そうという希望が生まれます。健康的な日常生活を取り返し、愛する人の死を現実の生活から切り離すことが出来るようになります。


(12) 立ち直りの段階
 悲嘆のプロセスを乗り越えるというのは、愛する人を失う以前の自分に戻ることではなく、苦痛に満ちた喪失体験を通じて新しいアイデンティティを獲得することを意味しています。それにより、悲しみを乗り越え、より成熟した人間へと成長することが出来るのです。

(補足)悲嘆を体験する人がすべてこれらの12段階を通るわけでもなく、また、必ずしもこの順序通りに進行するとは限りません。時に、複数の段階が重なって現れることもあり、だいたい立ち直るまで最低1年くらいはかかります。



 いかがでしたか。先のキュープラー・ロスの5つのプロセスよりもさらに細やかなプロセスの記述は、非常にわかりやすく、そのような段階があるだろうことに共感を覚えます。いずれにしても、大きな哀しみと遭遇してしまった人間は、我を忘れ、否定にかかり、やがて怒りを感じ、このようなプロセスを経て乗り越えていくのだという流れには共通したものがあるようです。

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