2017年8月27日日曜日

悲しみの心理プロセスの理解に意味はあるのか?

entry#10
<サッドマネージメント塾-第10夜>

少し堅い感じのエントリが続きました。
キュープラー・ロスによる「自分の死を受容する5つのプロセス」と、このアイデアをベースにしたと思われる「悲嘆に遭遇したときの心理プロセス」についての2パターンのプロセス。

いずれの場合も大きく分けると、
 ①悲しい事実の否定
 ②悲しい事実に対する怒り
 ③事実を受け入れる前の鬱状態
 ④事実の受容
 ⑤立ち直り

という5つの段階に整理できるのではないでしょうか。

なぜ、このような心理プロセスについての記述が必要なのでしょうか?
哀しい事実と遭遇して理性的でいられる人は少ないでしょう。
混乱し、我を忘れ、どうしていいか途方に暮れた状態で、まともな思考ができなくなってしまう人もいることでしょう。

なぜこんなに深い悲しみの淵にいるのか、
なぜわけのわからない怒りや憎しみがわいてくるのか、
どうしてなにもかもがどうでもよくなってしまうのか。

悲しみに暮れている自分の中にわき起こるさまざまな感情によって、
また新たな混乱に巻き込まれていくかもしれません。
しかし、そうした複雑な感情は決しておかしなことではない、誰にでも普通に起きることなのだ、それを知っておくことが救いになるかもしれません。
あるいは悲しみにくれる人の傍にいる人にとっても、このような心理プロセスが訪れているのだと分かっていれば、心配も半減できるかもしれません。

悲しみの真ん中にいる本人であれ、その傍にいる友人であれ、
悲しみからの回復にはプロセスが必要なのだと知っておくことによって、何か対処の仕方が見つかるかもしれません。

否定や怒り、うつ状態、受容、立ち直りという各プロセスに必要な時間は、人によって、あるいは起きてしまった事実の深さによって短かったり永遠だったりもするでしょう。
それでもいつかは立ち直りが訪れる。

しかし、ここで考えておくべきことは、どこかしらに危機が潜んでいるということです。
どこに、どんな危機が潜んでいるのか?
それは次エントリに譲ることにします。


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