<サッドマネージメント塾-第14夜>
ケージに入れた犬に軽い電気ショック(嫌悪刺激)を与え、ある行動(頭を動かすなど)をすると電気が停止することを学習させる。
次には、同じ電気ショックを与え、今度は何をしても電気は停止しない。
大雑把な言い方ですが、かつてアメリカでこんな実験が行われました。
今なら「動物虐待だ!」なんて言われそうですが、科学のために動物が犠牲になることも往往にしてあるのです。
行動心理学の動物実験で、有名なものがいくつかあるのですが、その中でもこの実験は、私にとって衝撃的であり、印象的なものでした。
これは、Learned Helplessness(絶望の学習)と呼ばれていて、犬が「何をしても仕方がない」ことを学習してしまったという実験です。
何をしても仕方ない、意味がない・・・これってやっぱり絶望状態ですよね。
私たちも、日常生活の中で、よかれと思ってやったことがダメ、
何をしてもうまくいかない、
「鈍すりゃ貧する、藁打ちゃ手打つ、便所入ったら人が入っとる・・・」
これは上方落語米朝師匠の一説ですが・・・(笑)
そんな状況が続いたら、
「もう知らん!どうにでもなれ!」
という絶望状態になってしまいます。
この実験の話をしたのは、絶望あるいは無力感というものが、科学的に実証されているということが言いたかったのです。
私たちは、日頃なんどもこのような絶望感や無力感に襲われます。
絶望は哀しみよりもひどい状態だと思います。
もはや哀しみさえ感じないのですから。
しかし、この状態は当事者にだけ訪れるものではなくて、同じ状況に置かれたら誰だってそうなる、そしてそれは物理的な、再現性のある現象であることを理解していたらどうでしょう。
絶望に陥った人間は、暗く深い穴の中に落ち込んだような気持ちになり、この世の中で自分だけがこんな辛い状況に陥っているのだという孤独感を伴います。
そのときに、いやそうじゃない、それはたまたまそんな状況が重なって、その反応として誰でも同じ心理になり、「何をしても仕方ない」という考えを持つに至るのだ。
そう思えば少し軽減されませんか?
この辛い状況をもたらしたものは偶然性のもので、その偶然起きた事柄がなくなりさえすれば、絶望する必要もない、また、次には必ず違う状況が訪れるのだ、そう考えを改めれば、再び希望が見えてくるのではないでしょうか?
こうした絶望に固執した考えをシフトチェンジすること、それが今でいう認知行動療法なのです。
■以下、Wikipediaから抜粋
[Learned Helplessness]
1967年、アメリカの心理学者マーティン・セリグマンとマイヤーが犬を用いて行ったオペラント心理学実験があります。
心理学者のマーティン・セリグマンが、1960年代にリチャード・ソロモンの元で学生生活をしていた時期に思いつき、それ以来10年間近くの研究をもとに発表した。抵抗や回避の困難なストレスと抑圧の下に置かれた犬は、その状況から「何をしても意味がない」ということを学習し、逃れようとする努力すら行わなくなるというものである。
犬を以下の3つの群に分け、オペラント条件づけに従って、電撃回避学習を課した。
- 頭部を動かすと電撃を停止できる群。
- 第一統制群:パートナーが受ける電撃を同様に受ける。
- 第二統制群:電撃を受けない。
第一統制群の、自分では電撃を停止できない犬は、回避行動をとらず、電撃を受け続けた。こうした実験によって非随伴的な刺激が与えられる環境によって、何をやっても無駄だ、統制不能だという認知を形成した場合に、学習に基づく無力感が生じるとし、学習性無力感が提唱されたのである[5]。
続いて、サカナ、ネズミ、ネコ、サル、ヒトでも、適応的な反応を起こさなくすることが、実験にて観察され、その学習性無力感の症状が、うつ病の症状に類似しているとされた[5]。
セリグマンは、1975年には、人間も加えた研究を加えて、うつ病の無力感モデルの理論的な基礎を形成し、1980年代にはその治療や予防に関しても、学習性無力感とうつ病とで比較し、それら二項間における内容はほぼ同様である[6]。