2017年9月25日月曜日

人はなぜ怒り、人はなぜ悲しむのか。

entry #18
<サッドマネージメント塾-第18夜>

妻や子供に対して怒りの言葉を爆発させるお父さん。
部下に対して口角泡を吹いて怒鳴り散らす上司。
恋人に怒りを露わにする男女。

彼らはどうして、何を怒っているのでしょう。
時には国家の代表がマスコミの前で怒りを発することもありますね。
すべての怒りは共通した理由によるものだと思いませんか?

そうです。
自分の思うようにならないから怒っているのです。

 「進学しろって言ったじゃないか!」
「どうして売り上げを上げられないんだ!」
 「約束したじゃないのっ」
「T島は我が国家の領土だ!」

 人は、自分の思い通りにならない事柄に対して憤りを感じて怒り出す。
その怒りに相手が脅威を感じたら、怒りの前にひれ伏し、結果怒り主の思いは実現に向かうことになれば、怒りは収まっていく。

それはジャングルの王者が弱者を威嚇するのとまったく同じだ。
しかし、人間社会では、弱肉強食に逆らう人間が現れるので、怒りが徒労に帰することも往往にして起きるのです。
そんなに真っ赤になって怒っても仕方ないじゃない、と諌められることになるのですね。 

では、悲しみの場合はどうなのでしょう。 

「息子が受験に失敗した。あんなに頑張っていたのに!」
「大事なお得意先を失ってしまった」
「別れ話をされるなんて」
「裏金工作が暴露されてしまった!」 

怒りと似ているというか、思い通りにならないということが原因であるという側面は同じようです。
違うのは、おおむね結果に対してわき起こるということ。
何か大切なものを失ってしまった、失うことが決定的になった、という取り返しのつかない 事態に接した時に、嘆き、悲しみという感情が発生するのではないでしょうか。

怒りは、 まだなんとかできる、という事態に対して力づくで対処しようとする感情。
悲しみは、もはやどうしようもない、諦めるしかないが諦めきれない、という事態に直面して陥る情緒。

こう分析できると思いませんか?
こう考えると、怒りよりも悲しみの方が深い。
怒りにはまだ未来が見え隠れしているが、悲しみにはそれがないんですね。 
アンガーマネージメントは怒りをコントロールすることによって、もっと効果的に未来を実現できますよ、という処世の戦略術。
しかし、悲しみに未来がないとすれば、サッドマネージメントになんの意味があるのか。

サッドマネージメントにはもっと重要な意味があります。
目の前の事態に対する処方はできません。
しかし、その先にある人生を見据えた時、悲しみをどう乗り越えるかが重要な意味を持つと思うのですが、いかがでしょうか。