<サッドマネージメント塾-第19夜>
「希死念慮」という言葉を知りました。
これまでは聞いたこともなかった言葉です。
希死念慮
いったいこれは、どう言う意味?
希死念慮とは、
「死にたい」
「死んでしまいたい」
「死ねばきっと楽になれる」
「いっそ、死んだほうがいい…」
などと漠然と自死について考えること全般をいいます。
もっと具体的に死に方を考えたり、どうやって死ぬかという方法にを調べ始めたり、
実際に死ぬという計画性が伴うと「自殺企図」という別の概念になるそうです。
つまり、希死念慮に比べると、自殺企図はずっと自死のを実現する可能性が高いということですから、危険度は高まります。
希死念慮という段階であれば、誰だって人生の中で一度くらいは頭の中をよぎることはありえることですよね。と考えると、自殺企図に比べれば心配するほどではないと考えられます。
とはいっても、「死んでしまいたい」などの希死念慮が浮かんでくるということは、かなり生きることに辛さを感じているということでしょうから、ほっておいていいというものでもないでしょう。誰かに、何かに・・・死という概念に救いを求めているとも考えられますから、やはり何かのケアが必要なのです。
ケアが必要と言われても、いったいどうすればいいのでしょうか。
こうすれば希死念慮は消える!
残念ながらそんな薬も魔法もありません。
希死念慮に至る道筋は人によって違うからです。
しかし、共通して言えることは、「死にたい」と思うのは、
「生きていたくない」、生きている意味を見失っているということです。
もしくは、生きていることに絶望して、もはや死を選ぶしかないのではないかと思いはじめます。
最初はなんとなく「死にたい」であった思いは、
やがて思い込みの深みにはまっていきます。
どんどん視野が狭くなっていくのです。
狭くなってしまった視野は、本人の力ではなかなか元には戻せないことがほとんどです。
ということを前提に考えると、ケアの方向はこんなことかもしれません。
1.一人にしない。孤立感を和らげる。
2.なぜ死にたいと思うのか、原因を聞く。
3.死にたいくらい辛い気持ちを共有してあげる。
4.一人じゃない、仲間がいることをわからせる。
5.死ぬ以外の選択肢を共に探す。
とにかく、孤立感を和らげ、仲間がいることで狭くなった視野を広げていく努力をするということが「大事なのだと思います。
最後に、「死にたい」と口には出さないけれども、希死念慮を抱えているケースもあると思います。
たとえば、
・口数が極端に減った。
・ぼんやりと空ばかり見つめる姿が増えた。
・人と関わることを嫌うようになった。
・仕事が手につかない様子がわかる。
というような人が周囲にいたら、なにか辛そうだけど、話を聞いてあげようか? と声をかけてあげる必要があると考えられますね。
今回は少し重いテーマでした。